ayu’s blog

語りすぎる独り言です

全くジャニオタではなかったわたしが、TravisJapanの川島如恵留くんを敬愛するようになったお話

 

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 人の心はわからないけれど、自分の心もわからないものです。

いつ、何を好きになるか、転がり落ちるか、世界の見え方までもが変わってしまうのか・・・わからないなあ、と今しみじみ感じております。

 

こんなことになるとは、全く思ってもみませんでした。

そう、ジャニーズJr.TravisJapanの川島如恵留くんという存在を知ってからのことです。

 

 わたしは山Pと同じ年のover30ですが、この年になるまでジャニーズに嵌ったことはありませんでした。なぜだか「8時だJ」を観ていた記憶はあるのですが、その時も誰が好きということもなく、今思えば謎です。

ただ、(恐らくは中学生くらいの時だったと思うのですが)【少年】が好きらしい、ということには気づいていました。それに気づいたのはボーイソプラノが好きになったからでした。少年合唱団や聖歌隊の歌声。今も聴きます。

なので、わたしの「少年観」はボーイソプラノ長野まゆみさんの作品に出てくるような、そんな存在でありました。

長野さんの著作の中で、少年は少年として卵から生まれ、少年として死んでいく・・・というようなくだりがあり(うろ覚えです)なんて素敵、と感動したのを覚えています。

「少年」と言ったらジャニーズJr.は年齢的にも近しい存在なのですが、上記の少年観を抱いていたわたしには別物として映っていたのかも知れません。

なぜ嵌らないのか?とうっすら疑問に思ったこともありました。

 

 

 そんなわけで、オタクのオの字もないような母と同程度のジャニーズ認識しか持ち合わせぬまま、この歳まで参りました。(ちなみに母はVS嵐が好きで、積極的に観ます)

母と同程度、とはまず嵐はいける、けれどNEWSやHey!Sey!JUMP以降のメンバーがまるで言えず、関ジャニはギリギリいける・・・かも??というレベルです。

以前に放映されていたツムツムのCMだったでしょうか、中島健人くんと菊池風磨くんが青と紫の衣装で出演していたあれですが、多分・・・多分だけどジャニーズの人なんだろうな・・・一人二役か、と思っていました。

最近キンプリって方々を見るけれど、双子みたいな人たちがいるな〜(永瀬くんと平野くんです)と思っていましたし、顔が全く覚えられませんでした。

わたしにとってジャニーズは、よく目にするのだけれど当たり前に世界にあって、注視するものではなかったのです。

〝世界の見え方までもが変わった〟はまずここに如実にあらわれて、ラジオの周波数が合うかのごとく、わたしの脳が{ジャニーズチャンネル(仮)}にチャンネルが合って、突然お顔の違いなどが認識できるようになりました。

これは感動的な体験でした。

 

 わたしには今まで好きになった宝物がいくつもあります。しかし、メディチ像(美術室に石膏像があった)といいビアズリーといい(両方中学生の時に出会いを果たす)、またボーイソプラノといい、普通に世界をみていても情報は入ってこなくて、自ら探して探して、発掘するような感覚でした。(どうしても欲しいロシアの少年合唱団のCDがドイツの通販しかなくて、ドイツ語と英語ページだったので泣く泣く英語を選択し、英語苦手だったのに一所懸命訳して親にお願いした思い出。無事入手しました)

心の神棚に御坐す俳優の鈴木拡樹くんもそのパターンでした。

ですから、そこにあったものが見えるようになった、といった感動は特になくて・・・ないのは当たり前だったのです。

 

とは申しましても、わたしが嵌ったのはジャニーズJr.そしてTravisJapanであり川島如恵留くんです。

2018年7月末現在、まだまだ局地的にしかジャニーズを認識しておりませんのでご了承ください。(むしろJr.中心です)

 

 

 さて、このお話をする上で欠かせないキーパーソン。それが〝しめ担の同僚〟です。

彼女がいなかったら今のわたしはありません。前のわたしより今のわたしが好きですので、本当に感謝しています。

いったい、始まりをどこにしたらいいのだろう・・・と考えました。しめ担の同僚と出会ったところ?と言ったらそうなのだろうけれど、あまりに遡り過ぎなので自重します。

ざっくり言えば、しめ担の同僚がジャニオタだということは初期からわかっていて、お話がとてもうまくて面白くて、わたしは拡樹くんとあとは二次元(マンガとか)が好きなオタクだったので、オタク話を喜んで聞いていた、という経緯があります。誰かが夢中になっているもの、好きなものの話を聞くのは楽しい。

ジャニオタの世界は未知の世界で、おすすめのブログや実体験などで味わう語彙の豊富さ、巧みな文章での伝達力、キラキラした情熱は、常にわたしの興味を引くものでした。

しかし、では誰かに嵌る、ということはありませんでした。

 

 

 運命の2018年4月22日(これを突き止めるためにライン画面をスクロールするのが一苦労で・・・何か方法はあったのだろうか)

しめ担の同僚にオススメされてYouTubeで初めてトラジャを見ました。

どの回を最初に見たのかは定かではないのですが、聖徳太子ゲームか七五三掛くんの衝撃エンディング作成回かのどちらかです。七五三掛くんの天然ぶりに怖がるわたしがいました。ヌルヌル相撲を見て、みんな脚が綺麗、とか言っています。元太くんが上下黒のファッションでウエストマークし、さらに黒髪だったので、名前を認識していないわたしは〝忍者君〟などと呼んでいます。

その後でHappyGroovyをみたようです。

 

そう・・・これが本当の始まりでした。

 

みんなかっこよくて、つい見入ってしまったのです。

 

失礼な物言いをすると、それまではジャニーズのダンスを凄い!と思ったことがなかったのです。よく見ていないだけなのでしょうけれど、〝ダンスが凄い〟という認識は持っていませんでした。

わたしはバレエや日本舞踊等、ダンスをみるのは大好きです(日舞は習っていたくらい好きです)。少林寺やカンフー、武術の演武などの体を使った美しい動きも含めて雑食的に好みます。

ですから、ダンスは注目してしまって、失礼極まりないのですが「一人くらいは穴のようにあまりうまくない人がいるのでは・・・」と思いながら見ていたのです。申し訳ございませんでした・・・一人もいませんでした。

まずそのことに感動して、ジャニーズJr.って凄いな、トラジャって凄い・・・と思った次第です。

 

安定のカイトが三人いることに驚いた後に

〜つい見ちゃうのは川島如恵留君。骨格がしっかりしていて、彫刻みたいなお顔立ちですね。ハーフ??漢字は僧侶みたいだから、テロップで見たときは動揺しました。〜(以上、自分の発言引用)

 

つい見てしまう、というのは、それはもう・・・と今なら思う。

そしてわたしのこの発言に込められた思い、芽みたいなものですね・・・それに水と養分を注ぐがごとくトラジャをプレゼンしてくれたしめ担の同僚。

すくすくと育ちましたよね。わたし自身もしめ担の同僚も、ここまで育つとはつゆほどにも思ってはいなかったのですが。

草とか花というよりも、もう木に、いや樹になっているのでは・・・?!

やり取りをして夜が明けてしまったこともありました。

もちろん、完璧には程遠いのですが、自然と【トラジャ史】を履修していました。気づいたら授業登録していた・・・。同時に【現代トラジャ】もとっていますね。

 

ちなみにしめ担の同僚は、わたしがトラジャメンバーを好きになるとしたらのえたんしかいない!と思っていたそうです。

まんまと好きになりましたし、ストーンズメンバーでの一番は?も速攻で当てられました。なんて読まれやすい人間なのだろう・・・しめ担の同僚はメンタリストかな。

 

 

 如恵留くんに惹かれた部分の一つに、パフォーマンス中の顔づかいの巧みさがあります。おそらく振り付け外のところで、少し上向けたり傾けたり、それが音にぴったりと当てはまって見ていて心地がいい。

ということは存在を知った初日から言っていて、今も変わらず、いや更新され続けているところです。

 

ハピグルから横浜アリーナでの一問一答で、如恵留くんについ目がいく、意識がいく、が高まりました。知性を感じさせる真剣な面差し、素早い答え、答え終わってからのくしゃっと笑った表情。何かがひと味違う、という印象を強くしました。そしてその〝ひと味〟がとてつもなく素敵なもののような気がしました。(あと単純にお顔が好き)

 

4月23日、この時点で〜のえるくんファンになっちゃいますし、これから好きなジャニーズを聞かれたらTravisJapanと答えます〜と発言しているのですが、冷静に考えて〝好きなジャニーズ〟を訊かれる機会はわたしにはまずない・・・

(その後自ら、ジャニーズのJr.のTravisJapanというグループの川島如恵留くんという人に嵌りました、と宣言しては驚かれるということになります。友人はもちろん、父親の元同僚の方にまで口を滑らせた。軒並み、え・・・?なぜ今になって???という反応。でも認めてくれました。)

 

 

その後、以前の少クラをみる機会に恵まれ、トラジャを脳内に刻みつけていくことになります。

何せジャニーズ初心者、新参者、素人(新規、というのですね、最近学びました)なので、オリジナル曲なのか先輩の曲なのかもあやふやでしたが、そんなわたしにも『夢のHollywood』が特別素敵に感じられました。

 

五人体制時の『tonight』パフォーマンスも素晴らしくて、最初にYouTubeで見た彼らの姿とのギャップに単純に驚きました。このパフォーマンスで(五人ではありますが)それぞれのダンスの個性をじっくりと感じ取ることができました。誰を見ても飽きない。個性的です。

 

出典がどこかわからなくなってしまったのですが(話半分で聞いてください)

〝本当の個性は、例えば皆が同じものを同じようにしようとして描いた時、または作った時、それでもどこか違うものができる。絵の模写をしても、同じものにはならない。そうしたものだ。〟

トラジャのパフォーマンスはそれを思い出させました。多分、ご本人たちは自分の個性を理解していて、表現しているのだとは思いますが、シンクロダンスの心地良さと滲み出す個性の調和が、わたしをTravisJapanに嵌らせたのかな、と思います。揃うからこそ、逆説的に個性が出てくる。

いわゆる箱推しになりました。

 

この辺りから、ちまちまと似顔絵を描いてはしめ担の同僚に見せていました。

単純な線でちっちゃいキャラクターのように描いていたのですが、アウトプットする為にはまずインプット、ということで如恵留くんだけでなく他のメンバーも見るようになりました。

内容は如恵留くん→宮近君→如恵留くん→七五三掛くん→如恵留くん→以下続く・・・と言った感じではありましたが、無事(?)全員コンプリート(らくがきです)

 

そう、絵を描くのは幼少期から好きなのです。わたしなりに描く理由もあるし、真剣に取り組んできたことでした。

しかし、特に2018年に入ってから描けなくなっていました。描きたいという気持ちはあれど、なぜか手につかない、下絵を描いてもその先に進まない・・・好きなはずのものができなくて、一人で苦しい思いを抱えていました。

絵を描いても楽しくなかったのですが、それを認めるのはものすごく苦しくて辛いことで、できませんでした。

当然体調も優れず、心身の不調を抱えて焦りばかりが募り、呼吸ができなくて不安が大きくなっていくような日々でした。

多分、病んでいました。整体の先生が「よく生きてるね〜?これは死んでますよ」と言ったくらい。どうやらゾンビだったようです。

 

トラジャに出会ったのは、それが解消されてきて、だいぶ楽になってきた、そんなときでした。

そんなときだったからこそ、トラジャが入ってきたのかもしれません。

わたしが元気になっていく過程とトラジャを好きになっていく過程が重なって、人生において重要な意味を持つ出会いだったと思います。(なんか重い・・・)

 

4月27日〜28日、如恵留くんが素晴らしい人生を歩んでくださいますように、と心から願う域に達しています(鈴木拡樹君に次いで二人目です)。存在を知ってから、一週間も経っていなかったのですね。しめ担の同僚もしきりに驚いていたような・・・

 

 

 そして一つ、思い立ちます。

「真剣に、今できる全力でトラジャの絵を描いてみよう」と。

 

命を削るゴールデンウィークの幕開けでした。

 

一体どう着地するかもわからないまま、でも考えるのが楽しくてワクワクして、見切り発車しました。

それまでのわたしは、本当に、自分は前より絵が下手になっている、描けなくなっているかもしれないということを恐れていたのですが、そんなことも考えませんでした。

玉虫衣装が初めてのオリジナル衣装だと聞いて、ではそれにしよう、それぞれのポーズはわたしが一番好きでトラジャらしいと思っている夢ハリから選ぼう。

玉虫衣装の基本形は同じだけど、シャツやネクタイ、ジャケットのラインがそれぞれ違っているので、まずはそれを理解しなければと鬼のように観察しました。なかなか細部が判明しないメンバーもいて苦労しました。

ポーズも一人一人を追って観察して、七人のバランスも考えて決めていきました。

玉虫衣装での夢ハリパフォーマンスはなかったので、ジャケットやパンツの形の違いを脳内変換するのも苦労しました。

背景は、Japanだから太陽のイメージで、色はグループカラーの紫で、太陽の中心が宮近くんのTJポーズの手の接点になるようにして・・・と絵を描く上でこんなにスムーズに決められたことはありません。オリジナルの絵とは訳が違いますね。決まった事実があること、枠の中で試行錯誤する楽しさを味わいました。

体力気力、生命エネルギーを注ぎ込んで描いていたけれど、同時にそれよりも多くのエネルギーを貰っていました。

絵を描くことが、心から楽しかった。そう感じられることが本当に本当に嬉しくて、救われたと思いました。

これまでは〝現代の人〟を描くことはほとんどなく、髪型も衣装も現代的ではないものを描いてきましたし、現実の誰かに似せて描くということもしてきませんでした。

いちいち新たな挑戦でしたが、それもまた楽しかった。特に玉虫衣装のスパンコールの表現は四苦八苦しました。

出来上がった時は、達成感と、わたしはまだできたんだ・・・という安堵感でいっぱいでした。

作品は額装して、しめ担の同僚にプレゼントしました。元からそのつもりで描き始めて、差し上げるという目的がなければできなかったと思います。

喜んでもらえて、そのことが嬉しかった。わたしが描くことで喜んでもらえたのかな・・・絵が描けてよかったな、と。

そう思わせてくれたトラジャ、そして如恵留くん、キーパーソンのしめ担の同僚にはこの上なく感謝しております。

 

 これを機に、ということでもないのですが、色々と描いてはしめ担の同僚に報告する、ということをして楽しんでいました。

初めてアイドル雑誌を買ってみたり(選んでいますが、多くて困ります)、お借りしてあまりに気に入ったのでタキツバコンサートのBlu-rayを買ったり、過去に如恵留くんが掲載された雑誌を取り寄せたり。

わたしは多分自己完結するオタクで、あまりご本人に会ってみたいだとか、情報を発信していきたいだとか、思わない人間です。

鈴木拡樹くんは別として、今まで好きになる対象はそう会える(というか生身の姿をみられる)ものではありませんでした。時代が違って、もう生きていない、とかですね。会えないのは当たり前なのです。

また、同じような趣味の人もいなかったので、本当に一人で楽しみ箱庭を育んでいたような感じです。(そう言えば、わたしは【庭】というイメージが大変好きなのですが、開かれた庭よりも裏庭に惹かれます)

それがまさかの一大メジャージャンルであるジャニーズ・・・のJr.にストンと嵌るとは・・・

 

以前からPixivというイラストと文字中心のSNSに生息しているのですが、Pixivではトラジャのイラストがとても少なくて(Jr.が少ない)驚いて、単にジャニオタの方々があまりいないだけなのだとは思いますが、それでも嵐はかなり多いので、やはり母数が・・・と考え込みました。〝聖歌隊〟というマイナーなタグより少ないのですよ。(その後如恵留くんが聖歌隊に入っていたことを知る)

デビューしていないJr.だから、一般に知られていなくても無理はない。現にわたしも全く知らなかったのだし・・・。

ファンがいる、というのはとても重要だけれど、わたしが一人箱庭を育てていても、それはしめ担の同僚に伝わるくらいで、閉ざされているのだな、と。

だから、微力でも何らかの形で発信して、ファンがいるというアピールは必要なのではないか・・・そう考えるようになりました。

ツイッターは、やってみる気は全くありませんでした。人様のツイートを見て楽しむことはあれど、なぜか自分とは無縁だと思っていました。好きな俳優さん、漫画家さん、同じ趣味の方々をフォローできたら素敵だな、と思わなくもなかったのですが、決め手にはならずずっときました。

 

 来たる7月9日。トラジャの結成日とされる日ですね。建国記念の日、みたいなものですね。

例によってしめ担の同僚からそのことを聞いて知ったのが、9日も夕方になってからでした。トラジャに感謝いっぱいのわたしは、何としてもお祝いの絵を描きたいと思いました。そして、ツイッターを始めるなら今日なんじゃないか・・・と閃いたのです。なぜか。

お祝い絵が完成したらツイッターを始めて、そこに絵を載せよう。お祝いツイートの賑やかしになるやも知れぬ。

時間的に七人を描くのはかなり大変なことが予想されました。ですので、当初は如恵留くんのみで行こうとしていましたが、どうしてもこの記念に全員いないのは寂しい、と思い直して、頭をフル回転させ全員描きました。それまで地味に描き続けていて、それぞれの特徴などが頭に入っていたのが大きかったです。

というわけで完全に思いつきの見切り発車で、ツイッターの世界に足を踏み入れることになりました。

そして赴くままにトラジャ絵を描いて今に至ります。

色々な画風を試してみているのですが、描く対象が決まっていると面白いです。

また、YouTube、とらまるの更新を心待ちにし、雑誌を買ったりして楽しんでおります。

 

 さて、わたくしごとに多くの文面を割いてしまいましたが、少し如恵留くんについて思うことを語ります。

まず、ものすごい発見をした!と一人悦に入ったのが【ナウシカと如恵留くんの親和性】です。ふと、ジブリの登場人物でいったらナウシカかな・・・と思い浮かんだらどハマりしてしまいました。

ナウシカは作中で城じい(ナウシカ親衛隊のおっさん方)に〝姫さま〟と呼ばれ慕われています。わたしの如恵留くんに対する思いって、城じいたちと同じだな・・・とシンパシーを覚えました。気分はミトじい。

そして風の谷の子供達からは〝姫姉さま〟と呼ばれ、これまたたいそう慕われています。

姫姉さま・・・これだ、と思いました。姉さまではなくて、兄さまだけど、姫だ!と。しかも、ナウシカ的な姫。

というわけで【姫兄さま】という言葉を思いつき、自己発電で大いに感動したわけです。

あまりにはまって、原作を全て読み返しました。感動しました、ナウシカ・・・そしてクシャナがとてもカッコよくて(これでは話題がずれてしまう)

 

閑話休題

 

 雑誌などを読んでいると、またはテレビなどのメディアでもそうですが、如恵留くんのアクロバットに触れられていることが多く、大きな武器の一つなんだと実感します。そこに美しさも加味されているのが素晴らしいです。

それはもちろん喜ばしいことなのですが、わたしはダンスもアクロバットに匹敵するくらいの素晴らしさがあると思っています。

最初に惹かれたのもアクロバット要素のないダンスパフォーマンスだったこともあり、類い稀な魅力を持っている、と思っているのです。

如恵留くん自身が、指先まで神経の通ったダンスを・・・といった感じの発言をされていて、それはよく伝わってきますし、美しさで言ったらかなりのものだと。

クロバットがいい意味で異質に感じてしまうほど、美しいダンスです。あまり外からはそのことに言及されていないように思えて、それが不思議でなりません。(もし言及されているものがありましたら教えていただきたいです・・・)

クロバットがなかったとしても、わたしは如恵留くんを同じように素晴らしいと感じたに違いありません。

少クラで披露されたLGTE、初めは何だかよくわからない曲だ・・・と思ったのですが、ダンスの個性をみるにはもってこいで(割と単純な振りを大勢で踊るので)、とても楽しみました。

中でも如恵留くんのダンスは、すっとのびた手足、首筋、無駄な力も入らず、かといって抜けきらず、隅々まで無理なく体を使っているように見えてとても美しい。

また東山さんが途中から登場する仮面舞踏会のパフォーマンス。

如恵留くんの立ち位置は画面向かって左の最後列の端、なもっとも映らないのでは・・・というポジションにも関わらず、完璧な音ハメと切れ味の良さ、エレガントさは目を見張るものでした。かなり、見えないものを見ようとしました(画面に映っていないときはこんな感じではないか、と想像する)。

これによりわたしの〝のえビュー(如恵留くんを追うレンズ)〟は鍛えられ、その後何を見ても〝仮面舞踏会よりめちゃくちゃ映っている!!〟と喜びを感じるようになりました。

仮面舞踏会、すごく好きなのです。タキシードとか、如恵留くんにいと似つかわしい。

 

 如恵留くんの大きな武器であるアクロバット、そしてバレエ的な要素の美しいダンス、それとはまた違ったものではありますが、きっと日本舞踊もお似合いになると思います。

いつか挑戦してくれないかな、などと夢見ています。男の踊りでも女の踊りでも、きっと素敵。ぜひ素踊り(お化粧などしないで)で見てみたい。(日本舞踊では男性が女の踊りをすることも、女性が男の踊りをすることも、いたって普通のことです。素踊りの場合、男性用女性用の着物をそのまま着て踊ります)

これは本当に、わたしの夢、願望の話です。

 

 ここでは言及しきれないのですが、のえまるを読んで一層好きになったことは確かです。こんな風に言葉を綴ってくれる人を好きにならずにいられようか、いやいられまい、です。

勝手ながら〝我ら(なぜか複数形)が姫兄さま!さすがですぞ!〟とミトじいになってしまいます。ミトじいはこんなセリフ言ったかな・・・?

〝さすがは姫さまじゃ!!〟くらいは言っているはずです。

 

こんなことを言っていますが、わたしは如恵留くんのことを完璧だとは思いません。スーパーマンだとも思いません。いや思うけれど・・・ちょっと違う。

多分ミトじいもナウシカを完璧だとは思っていないでしょう。だからあれほど敬い慕い、愛おしむのではないでしょうか。

完璧でありたい、成長したい、多芸多才!をまっすぐに目指すその姿勢と心持ちが美しいと思うのです。また、至らない(苦手な?)部分を受け入れる努力をして、消化している、変化してきているというところも石が研磨されるがごとく輝いて見えます。

研磨と矛盾しますが、成長を続ける鉱石の結晶のようです。

わたしの思い込みや願望も多々あるでしょう。

脳が見せる幻と言ったらそうなのでしょう。

けれど、それがわたしの目に映り、心で感じる真実です。自己完結ここに極まれり。

 

トラジャに如恵留くんに出会えてよかった。好きになれてよかった。

おかげで絵を描くことがまた楽しいと感じたし、絵画や彫刻、音楽、舞踊、今まで好きだった世界がまた新たな魅力を持って輝いているさまに気付けた。

厳密に言えばそれらは何ら変わりなく、いつでもそこにあったのだけれど、わたしがそれらを感じるアンテナを失っていただけだった。今回、以前のアンテナと新たなアンテナを手に入れて、受ける感動は二倍になった。

そう、世界の見え方が変わりました。

改めてそのことを幸せに思います。

 

 

そしてしめ担の同僚、やはり彼女がいなければこんなにジェットコースターもかくやのスピードで落ちることはなかったでしょう。

 

何事も先達はあらまほしきことなり。

 

わたしは孤独な徒歩どころか、優秀なガイドが付いたヘリコプターで石清水八幡宮に行ってしまったのだな・・・(徒然草